今年の最後は「東日本大震災からもうすぐ12年」
2022年ももうすぐ終わります。今年はコロナ禍から少しずつ日常を取り戻しながらも、ロシアによるウクライナ侵攻といった、とても考えられなかったことが実際に起こったりと、忘れられない1年だったと思います。そして、今年は途中から、日本で数十年も前から問題となっている「少子高齢化」とともに着々と進む「日本の劇的な人口減少」について考えさせられることが多かった年でもありました。
そうした中、年末に友人の仕事の手伝いで福島にしばらく滞在し、帰りに、今まで行けていなかった東日本大震災の被災地を、福島県内の少しではありますが見ることができて、改めて大きな衝撃を受けました。
被災当事者でない私が、あまり安易なことを書くのも良くないかとも思い、撮影した写真を何枚かと少しの説明を。
上は、浪江町にある、福島県内唯一の震災遺構である、請戸小学校です。下調べをせずに行ってしまったので、この日は休館日でしたが、一般公開されています。1階と2階の間くらいに、押し寄せた津波の高さの表示があり、1階は、卒業式準備中だったという教室が津波で大きな被害を受けた当時のまま残されています。児童や先生らは避難できて無事だったとのことで、本当に良かったですが...。
この小学校の近くにできた防潮堤。絶壁ではなくて緩傾斜式というものだと思いますが、両側が緩勾配の傾斜になってソフトではありますが、今までのように、陸地から海は全く見えません。その背後には、その他津波対策を施した場所でも見られましたが、防災緑地なのでしょう、小さな苗木がたくさん植えられたエリアが広がっていました。
そしてその背後には、遺構の小学校がありますが、津波で全部流されてしまったのか、原発も遠くないので、しばらく立入禁止だったのか、震災前にそこにどのくらいの建物や生活があったのかは、あとで調べてもよくわからなかったのですが、震災後に整備されたであろう道路があるだけの、もちろん田んぼでも畑でもない、荒野のような風景が広がっていました。
そして上は、双葉町にある、「東日本震災・原子力災害伝承館」とそれに隣接する「双葉町産業交流センター」です。伝承館もこの日は休館日でしたが、福島県内の子どもたちを中心に、震災被害を継承していくために、学校単位で見学に来たりしているようです。交流センターの方には、東京電力の福島復興本社などの機能も入っているようでした。休館日で人が少なかったせいもあるのでしょうけれど、ふたつの新しい建物の間から見える景色には、先のような防潮堤が伸び、その前には、やはり何もない荒野が広がっていて、とても空が広く見えたのがとてもつらく感じました。この建物の近くには、低層のビジネスホテルもあり、震災復興関係の人が寝泊まりしているのだろうかと思いました。
ちなみに福島の湾岸部を縦断する国道6号線を通っていくつかの被災地を見てきましたが、福島第一原発の周辺では、やはりしばらく帰宅困難地域であったのでしょうか、国道沿いにもかかわらず、震災直後のままと思われる店舗などが点在していて、生活が再開しているようではないエリアも少なからずありました。
来年の3.11で、震災から12年になります。詳しくない者が誤ったことを言っていたら大変申し訳ないのですが、津波や原発の被害を受けた地域では、震災復興として、さまざまな公共事業が行なわれてきているようですが、それは、被災者の希望によるものも多いのだと思いますが、果たしてそこに震災前のように人の生活が戻るのか、特に若い世代などが、と思ったりしました。
参考で、東日本大震災の「伝承施設」をまとめたサイトとしては、以下のようなものが役立つようです。
https://www.thr.mlit.go.jp/shinsaidensho/index.html
時間を見つけて、少しずつ見たりと、理解を深めたいと思いました。
この年末には、防衛費の増強や原発推進への方針転換などがニュースになりました。これからイヤでも劇的に人口減少が進む日本において、戦略的に縮んでいくことを提唱する専門家もいたりしますが、今までのような、人口が増える、経済がまた右肩上がりになるとの前提のもとに、これで良いのかと思わざるを得ないようなことが、今までと変わらず行われているのではないかと思うような場面がやはり多く見られるようにも思います。こうした状況の中で、未来の、特に日本の子どもたちのために、今の大人がどうすべきなのか、個々人のレベルでも考えて、少しでも行動に移せて行けると良いのではないかと、改めて思ったりもしました。
ということで、今年もみなさまには大変お世話になり、誠にありがとうございました。
当事務所は、年明けは、5日から業務を開始いたします。
みなさまにおかれましても、良いお年をお迎え頂きますよう。来年も宜しくお願い申し上げます。
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