さらば!わが青春の上並榎庭球場クレーコート
南アフリカで、新型コロナの新たな変異株であるオミクロン株が発見され、WHOでも最も注意すべきランクに急に入れられたことで、また大きな話題になっています。テレビなどでも、視聴率を稼げるのでしょう、「まだわからないことが多い段階」であるから逆になのでしょうか、また早速やいのやいのやり始めました。注視していく必要はもちろんあるわけですが、今から騒いだり心配してもしょうがないと思います。そんな中で、「オミクロン株、日本で初確認」との一報もありました。そして、デルタ株の反省からとのことで、水際対策を早めに徹底させたとのこと、もちろん完全に入ってくることは防げないにしても、良い方向とは思いますが、クーポン5万を配る経費がバカみたいに高くて無駄、というのをこっそり進めようとしている政府って、とても信用できるとは思えないなぁとも思ったりします。
さて、しばらく前から、高崎市の上並榎庭球場でナイターでテニスをしていましたが、全体の半分あったクレーをオムニに改修するとのことで、その部分が11月末で一時使用中止になります。そして先週、最後の上並榎クレーでテニスをしてきました。
以前にも書いたことがあったかと思いますが、私は中学3年間、軟式テニス部(当時はソフトテニスではありませんでした 苦笑)でやっていました。私が卒業した安中一中は当時、男女とも「関東大会に行くのは当たり前、数年に一度は全国大会に行く」という、かなりの強豪で、練習も厳しい部でした。そうした中で私がいた学年の男子は、いわば「谷間の世代」で、関東大会にも進めませんでした。そうした中で、県大会でよく行ったのが、この上並榎庭球場でした。
約3年前に私を(硬式)テニスに誘ってくれたのは、私が中学自体に軟式テニスでペアを組んでいたヤツで、上並榎でのテニスに誘ってくれたのも彼で、初めて参加させてもらった時に、私にとっては30年以上ぶりだったりして、さらにはスタンドやフェンスなどの施設もほとんど当時のままなので、何の思い入れもない方にとっては、単なる古い施設なのだろうとは思いますが、「懐かしいよねぇ」などと言ったりしていました。
その上並榎庭球場で、今まで半分残っていたクレーのコートが、他の半分と同様、オムニに変わるとのことで、今回でクレーは最後か~などとは思っていました。そしてその日に行ってみると、このクレーが、途中で土の入れ替えや補修などはいろいろしてきただろうとは思いますが、中学当時に私らが戦ったコートのままだったのだなぁと感じ、改めて写真を撮ったりして、ちょっと郷愁に浸っていました。するとその元ペアの彼も、「懐かしいよねぇ。最後の県大会で負けたのは、確かあそこの何番コートで・・・」など言い出して、「よく憶えてるねぇ」など言ったり、「カップのアンバサ(という飲み物)とかよく飲んだなぁ」など言って、さらに懐かしく感じました。当時としては決して良い結果ではありませんでしたが、年をとってこうして思い返すことができることに、とても嬉しさを感じました。
思えばわが子も、中学で部活をやっていますが、もちろん私らの時代とはいろいろ違いがあるようです。部活で、顧問から手を上げて怒られることもないでしょうし、朝から晩まで練習するような部活でもないようです。さらにはスポーツを「生涯続けていった方が健康に良い」と学校で教えられていたり、「楽しむことが大事」、「みんなで頑張る」などもあるようです。
本人は部活について、今まで一貫して「楽しい!」と言っているのはとても良かったと思っていますが、個々人の差はいろいろあるでしょうけれど、私らなどより余程、小学生の頃からジュニアでやってきた子らとの差は簡単には埋め難いようでもありますし、コロナで普段の練習も大会などもかなりの制約を受けていたりなどで、自分で「僕らの学年は谷間の世代」など言ったりしています(苦笑)
それではあっても、私は、子どもを指導できるレベルではありませんが、最低限はできる種目なので、限られた時間の中でですが、一緒に練習しています。「楽しく、仲良く」ももちろん大事ですが、それと両立できる形で「勝ちに対するこだわり」や「つらい、悔しい」などの経験も少しはできるよう努めています。最終的には結果が伴わなくてももちろん良いと思いますが、「あの時、あれについては、自分はあれだけ頑張れた」ということがひとつでも多くある方が、将来、必要な時に力が湧く、自信になるのではないかと、勝手に思っているからです。とあるアホな親のエゴでしかないかも知れませんが(苦笑)
これからわが子がどのような道を進むかわかりませんが、より良いと思われる形で、サポートしていければと思います。
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