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2017年4月 6日 (木)

桜待つ、高崎白衣大観音

私の場合毎年春先に、高崎白衣(びゃくえ)大観音に、交通安全祈願などに行くことが恒例となっていて、今年も4月初めに行って来ました。わが長男も、白衣大観音の大ファンです(笑)

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でも今年は、今までとは違う、少し新鮮な気持ちでした。というのは先日、高崎白衣大観音を建立した井上保三郎翁の、復刻された出世録をご親族の方から頂き(ご本人のサインも添えて頂きました!)、拝読する機会があったからです。

私は、倒産した高崎の井上工業という地方ゼネコンに勤務していた関係で、高崎白衣大観音を建立した保三郎翁が井上工業の創業者であることはもちろん知っていて(そうしたことがあったからこそ井上工業に入社したというのが実際ですが)、そのため、今でも定期的にお参りしていたのですが、そうではあってもこの本では、今まで知らなかった内容も多く、とても新鮮だったのです。ちなみにこの本は、高崎市の小中学校などに寄贈されたとのことで、比較的簡単に手に取ることもできるようです。

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まずは、今まであまり強く意識していなかったのですが、保三郎翁の銅像が、白衣大観音のすぐそばに建てられていました。像の台座の裏には、人となりが書かれていました。いつもより神聖な気持ちで、長男とともに観音様に手を合わせました。そして、過去に何度も入っているのに、また長男が観音様の中に入りたいというので入りました(笑) この日は天気も良く、観音像に開けられた小窓からは、遠くまで景色が見えました。

この「井上保三郎翁 出世録」に書かれていた内容で、いくつかあった新しく知ったこと、気になったことを書いてみます。もちろん保三郎翁は、高崎を中心に成功した実業家であったわけですが、白衣観音建立に関連してとのことでは、
○もともと観音様への信仰心が厚かったこと(ご親族の方によれば、筆者による脚色もあるようですが。「信仰」とは言っても、先祖を敬うなどでも良いと書かれていました。高崎のランドマークを作るとのことであれば、観音様でなくても良かったであろうわけで)
○昭和9年に天皇陛下に単独拝謁した感激から、さらに世のために役立つべく、高崎観音の建立を決めたこと
○昭和11年に誘致が決まっていた東京オリンピック(のちに中止)で東京を訪れる外国人観光客、さらには当時、既に避暑地として人気になっていた軽井沢を訪れる外国人を誘致することを目指していた
とのことがありました。

そしてこの日は、観音像の中に入る受付の人は、「今年は寒くて、桜が遅い。いつもなら五分咲きくらいなのに」と言っていました。観音山にはたくさんの桜があります。平地に比べるともちろん桜は遅いのだろうと思いますが、さらに今年は満開はこれからとのことで、ぜひお出掛け頂いてはいかがかと思いました。

そして余談ですが、保三郎翁は、とても親孝行だったそうです。「親孝行、したい時に親はなし」とはよく言ったものだなと思います。今のうちに親孝行をしましょう!(まあ、亡くなってからでも親孝行はできますが 笑)

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