久しぶりの夜歩き
今日は高崎駅付近で忘年会でした。私の家は信越線の安中駅から歩いて25分ほどで、学生の頃や、社会人になってもほんの数年前までは、飲み会で出掛ける時には電車を利用して、安中駅と自宅を歩いて往復するのが基本でした。ただ最近は、安易に代行を頼んでしまうことが多くなってしまい・・・。というところで、節約と運動を兼ねて、今日の忘年会では、安中駅まで歩き、電車で行くことにしたのでした。
「夜歩き(よるあるき)」という言葉があるわけではないように思いますが、「夜にそこそこの距離を歩きました」ということで、別に夜に遊びふけっていたということではありません(笑) でも久しぶりに夜に歩いたので、ちょっと新鮮でした。
まずは安中駅付近特有の景観である東邦亜鉛安中精錬所の夜景を。これも久々にマジマジと見た感じです。よそに住む友人らからは「軍艦みたいでビビった!」などと言われることもありましたが(苦笑) そして現在では、この付近の国道18号線の4車線化が最終段階です。個人的には、あそこのあたりまで4車線化できたとして、どのように良い影響が出るのかわからずにいるのですが・・・。
そして、これも久しぶりに安中駅を利用しました!信越線は本数が少ないので利用しづらい面もあります。しばらく前から駅舎の改修工事をしているのは知っていたのですが、ホームから使える空調完備の待合室ができていました。でも、ホームの風景はあまりかわっておらず、それはそれで良かったです。でも、スイカが使えるようになっていました!(笑)
そうして行った忘年会で、国立競技場がA案に決まったとのことも話したりしました。私はA案(隈研吾さん設計)、B案(伊東豊雄さん設計)のそれぞれを詳しく知っていたわけではないのですが、B案の方が良いと思っていたので残念でした。
隈さん、伊東さんとも世界的に著名な建築家ですが、これは私だけの印象ではないと思いうとともに、いろんな評価があってしかるべきだと思うのですが、隈さんと伊東さんとでは、建築家としてのレベルが全く違うように私は思っています。ご存知の方も少なくないと思いますが、隈さんは、今でこそ売れっ子建築家ですが、若い頃は、私も以前に勤めていた井上工業という会社に、よく言えばパトロンをやってもらっていたました。当時のバブル景気を背景に、マイトンというリゾートの設計もしたりしていましたが、そのマイトンこそが、井上工業が倒産する元凶となったといっても過言ではありません(もちろん隈さんのせいではありませんが)。その頃の隈さんは、ポストモダンとの潮流の中で、「M2」などの、こう言ってはなんですがヘンチクリンな建物を設計していました(ベースとなる理論はあるのですが)。そうしたことを経て、ここ数年、地域性をふまえた材料選択やそれを活かした設計で、再度注目を集めるようになったと理解しています。そうした設計が出たての頃は私もとても新鮮で素晴らしいと思いましたが、最近は、設計の薄っぺらさと(言っては申し訳ありませんが)を感じるようになってきた業界人も少なくないだろうと思います。それでも、現在でも高崎市内に設計中の建物もあるので、と思いますが・・・。例えば高崎駅西口のウェストパーク1000も隈さんの設計です。こういうことをブログで書いて大丈夫なのか?と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、隈さんは世界的な建築家ですので、私などが少し率直に書いたからといって、特に影響はありません(苦笑) それに対して伊東さんは、私が理解している範囲でですが、設計として取り組んでいるレベルが全く違うと思っており、受賞歴も違いますので、国の威信を掛けた施設であるからこそ、伊東さんにやって欲しかったと思っているところです。もちろん単なる私感に過ぎませんが。
(今日の某テレビ番組の解説では、「工期短縮」の面でA案がかなりB案と差をつけたとして、隈さんの案は、中止になったザハ案を担当していた梓設計と大成建設と組み、ザハ案と基本部分で共通点が多い、冒険をしていない建物であるのに対して、伊東さんは、工期短縮のために、新たな工法を考えて提案したとの差があり、伊東さんの「挑戦・アイデア」が、審査員に逆に工期の不安を持たれたのではないか、などと言われたりもしていました。実際どうであるのかは、現状で私にはわからないですが・・・)
ということで長くなってしまいましたが、結局忘年会で盛り上がり、最終電車を逃してしまった私は、節約の甲斐もなく、タクシーで帰ってきたのでした・・・。でも悔しいので、安中の「いっちょう」から歩ってやりました!運動量は確保できました。年内に済ませなければならない仕事はおおむね目処がついて良かったですが、今年ももうひと頑張りです。
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