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2012年8月21日 (火)

夏休みの自由研究(?)「倉賀野」

「クラガノキューブ」は、今週中に足場が外れるので、最終的な再チェックを行なって、修正を依頼してきました。暑~(汗)

と、もちろん仕事モードですが、夏休みがあったので、今回は小学生風の簡単な夏休みの自由研究的ブログを(笑) テーマは「倉賀野」です。

現在施工中の「クラガノキューブ」は、その名から、建設地が高崎市倉賀野町だろうということは、みなさまもお察しのことと思います。

ところでその倉賀野は、どんな街でしょうか? またみなさまのイメージは? 電車に乗る人は、高崎から上野方面へ出発して最初の小さな駅のあるところ、国道沿いを通る人は、工場が多そうな印象だななど、いろいろあるかも知れません。

ということで、私なりに関心のあるところから、わずかな知識で恐縮ですが、倉賀野の街をご紹介させて頂ければと思います。

街は、昔からの時間軸の中で、いろいろな特徴を持っていることが多く、それらのうちの残っているものいないものなど、いろいろが織り重なって今現在の姿を呈しています。簡単に言えば、「今はさびれているけど、○○年頃は栄えていた」などなど。

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そうした意味ではわりと昔の話として、倉賀野には古墳がいくつかあります。車で走っているだけだとわかりづらいですが、代表的なのが、旧中山道のしののめ信金の裏の方に見える小さい山で、これは「浅間山古墳」という五世紀初めに築造されたとされる前方後円墳です。県内では2番目の大きさだそうです。当時、かなりの権力を持った人物がこのあたりにいて、その人が眠っているのでしょうか。そういえば以前に、この古墳の南方の敷地で、浅間山が見えるようにとの建主様の家のお手伝いをしたことがあったなぁと。

それとやはり倉賀野の大きな特徴として挙げられるのが、江戸時代、旧中山道の「倉賀野宿」があった宿場町だったということでしょうか。江戸から数えると12番目の宿場。現在の群馬県では、新町宿の次の宿場です。烏川に倉賀野河岸(かし:川の港)もあり発展していたそうです。ちなみに私の家も旧中山道の安中宿に近く、江戸時代には城もあったので、安中市街は、城下町兼宿場町ということですが、同じ街道でつながっていたということで、親近感もわく気がします(笑)

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それと倉賀野には、この中山道と、日光へ通じる日光例幣使街道(家康の没後、日光東照宮の例祭にあわせ、幣帛を奉献するために京都の朝廷の勅使が通る為に開削された街道)との分岐点もありました。それが現在の「下町」の信号のある三差路で、そこに今でも、常夜灯や道しるべがあり、その奥には閻魔堂があるのも良く知られるところかと思います。

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そうした歴史を踏まえて旧中山道沿いを眺めてみると、旧脇本陣(大名や幕府の役人などの偉い人が宿泊する「本陣」の次に格のある宿泊所)なども残っています。群馬銀行の向かいです。また宿場町ですから、街道を往来する人が休んだり泊まったりする旅籠や、それらに関連した商いを行なう町屋などが軒を並べていた様子が、少しではありますがうかがえます。きちんと手入れし直されている家もあります。数年前くらいまでは、歴史を活かしたまちづくりも盛んでしたが、現在はどうでしょうか。どの家も、白と黒、または木とのコントラストがきれいです。

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「地域」を冠する名前を持つ設計事務所として、こうした街の歴史などの地域性・場所性を、「クラガノキューブ」にも取りこめているのでしょうか???(苦笑)

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