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2012年4月21日 (土)

新島襄旧宅 安中に大河ドラマは来る?

前回の記事のように、今年は桜がとても気になっていたのですが、もうひとつ桜の時期に行こうと思っていたのが、安中市にある「新島襄旧宅」です。キリスト教を説き、同志社大学を設立したことで知られる新島襄にまつわる家で、入り口付近に大きめの桜の木があり、それと一緒に写っているのがこの建物の代表的な写真だったとの記憶があったためです。

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市内の「新邸」という地区の、安中総合学園高校の南の方にあるのですが、行ったのは子どもの頃以来ではないかというくらいの久しぶりさ。しばらく前に、来年の大河ドラマが、この新島襄の妻・八重(綾瀬はるかさん)を題材としたものだと発表されていたので、そうした意味からも、また見てみたいなと思った次第です。

行ってみると、桜が散り始めていてとても風流。八重の出身地で、このドラマの主な舞台になるらしい会津から来たという人もちょうどいて、また管理人の方にうかがうと、さすがにここのところ見学者も増えているというので、おお~!と思ったのですが、どうも話を聞いているうちに・・・。

まず、これは私の勘違いなのだろうと思うのですが、この「新島襄旧宅」は、新島襄の「生家(生まれた家、生まれ育った家)」だと小さい頃に教えられたような気がしたのですが、新島襄は江戸に出向いていた安中藩士の息子で、生まれたのは江戸・神田の安中藩邸であり、安中で生まれたわけではないとのこと(いろいろな解説にも確かにそう書いてあります・・・)。さらには、江戸で育ってアメリカに渡り、10年ぶりで帰国した後に、その時安中のこの家に、いわば一時的に住んでいた両親を訪ね感動の再開を果たしたものの、3週間ほど滞在しただけで、同志社大学設立などの流れの中で京都で暮らすようになり、しかもまもなくこの両親とも京都に呼び寄せたということらしいのです・・・。

ということで、新島襄の祖先は安中に住んでいたので、安中は新島襄にとってのゆかりの地であるのには違いないでしょうけれど、住んでいた期間もごくわずかで、しかもこの家も、両親が廃藩置県で安中に戻り、(たまたま?)一時的に住んでいた長屋の一部。さらにはもともとあった場所から数十m移動させたというので、両親らですらも、この庭の桜を眺めて暮らしたわけでもないようで、個人的にはかなりガッカリしてしまいました(苦笑)

しかも余談ですが、安中にある新島学園という私学は、襄本人とは直接は関係なく、安中教会も、設立にはかかわっているそうですが、今の公会堂などの建物は亡くなった後にできたものでした。もちろん、新島襄がわずかながらも滞在したり来訪したりで洗礼を授けたりしたおかげではあるのだと思いますが、小さい頃から慣れ親しんできた上毛カルタに新島襄が登場しているのも、案外「間接的」な気がして来たり・・・。私も、安中教会の公会堂を登録文化財にする際のお手伝いもさせて頂きましたが、結構理解があやふやだったのだなと反省しきりです(苦笑)

新島襄旧宅の展示によれば、妻の新島八重も、4回ほど安中を訪れたとのことでした。ということで、ドラマの設定次第というのもあるようですが、何とか一度くらいは安中にも撮影に来てもらいたいなぁと思います。

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