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2011年3月14日 (月)

東北地方太平洋沖地震 

3/11に発生した東北地方太平洋沖地震において被災された多くの方々に、心よりお見舞い申し上げます。

時間の経過とともに見えてくる災害の様子に、ただただ驚くばかりですし、数万人規模とも言われる行方不明の方が未だいらっしゃること、大きな余震が起こる可能性が多分にあること、さらには原発の安全が確保されておらず、すでに被曝した方もいらっしゃることなど、当面のことだけでも多くの心配事があります。

地震といえば個人的には、06年の新潟県中越地震において、建物の応急危険度判定士として被災地に入って被害状況を目の当たりにしたこともあって、それ以降特に、建築構造に対してさらに見識を深め、それを日々の設計業務に反映するよう努めてきたつもりではありました。ただ報道の通り今回の震災では、地震そのものよりも津波による被害が甚大なようで、海外などではなく、見慣れた日本の風景を大津波が押し流していく映像を見るにつけ、私たち建築技術者、延いては人類の無力さを改めて痛感させられたような気がしました。

とにかく、一日も早く被災者の方々の避難生活の最低限の環境が整備され、復興が進んで行くことを切に願うとともに、私自身も、小さなことでも何ができるか考えて行かなければと思う次第です。

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今回の地震が起こった時には、安中にある自宅兼事務所にいた私も、とっさに建物の外に出ましたが、地面の激しい揺れを感じ、ガタガタと音を立てて揺れているのがはっきりとわかるわが家や近隣の家に、倒壊するのではないかと本気で心配をしました。近所の方々とも声を掛け合いました。しばらく後に、携帯メールで家族の安全が確認できました。

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安中では、地震直後から停電になりました。数分たっても復旧しないので長引くかも知れないと思い、近所のコンビニに食料品の買出しに行きました。コンビニは非常用照明が点灯していましたが、レジが動いていたのには驚きました。着いてしばらく後に混み始め、間もなくおにぎりや弁当類はなくなってしまいました。信号も全て作動しておらず、大きな交差点では、警察の方が交通整理をしていました。

わが家はひと昔前のつくりなので、プロパンガスと灯油を使っていますが、停電になればもちろん、電気で入切する給湯器などは使えません。ガスコンロは使えましたが、危険だから使わないようにと携帯でのテレビ放送が言うので、とりあえずは使わずにおきました。

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夜になっても電気がつかず、暖房も電気のものしかないため、仕方がないのでその日は、家から布団を持ち出して、家族揃って車の中でエアコンをつけて寝ました。カーナビのテレビがこんな形で役に立つとは、今まで思ったこともありませんでした。あたりが真っ暗な中、わが家の近くの公共施設が明るいので見に行ってみたら、火災など停電時の非常用照明が全て点いていたようで、こんな姿も初めて見ました。明け方の3時か4時頃には電気が通ったようでした。あとで聞いたところでは、県内でも、前橋や高崎、北毛など、停電しなかったエリアも結構あったようでした。今回の車中泊も、これはこれで貴重な経験だったように思います。都心部の知人たちは、テレビで報じられていたように、会社に泊まったり、その後数時間かけて徒歩や電車で帰宅したりと大変なようでした。

日付がかわって今日からは、計画停電(ついさっきの東電の記者会見までは「輪番停電」と言っていましたが)が実施され、しかも少なくとも4月中までは続くとのことでした。仕事や普段の生活において、どのような変化が起こるのか想像し切れるものではありませんが、落ち着いて対処していかねばと思います。

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