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2006年9月23日 (土)

安中教会での講演会

002_2  わが安中市は、同志社大学の創始者で、日本でのキリスト教布教に多大なる貢献をした新島襄の生誕地で、新島襄がアメリカでキリスト教を学んで帰ってきた直後に布教活動を行った土地です。安中には、新島襄の教えを受けた信徒さんたちにより育まれた安中教会があり、「新島襄記念会堂」という教会堂があります。キリスト教関係の方々を中心にここ安中は、そうした面から有名だったりします。

日本キリスト教団 安中教会

毎週日曜10時半から礼拝があるらしく鐘が鳴るのですが、子供の頃からその鐘の音を聴いてきましたし、隣接する二葉幼稚園は、同級生などでも通っていた人も多い、さらにはうちの母親がクリスチャンであったこともあり、両親が結婚式を挙げたのもこの教会だったりと、いろんな意味でなじみがあって、個人的にも安中でのシンボリックな場所のひとつです。

今日は、その安中教会で開かれた、「安中教会建物群登録有形文化財登録記念講演会」を聞きに行って来ました。

参加したのは、私が安中教会の信徒さんであるからとかではなく、一昨年に、この安中教会の建物群が登録文化財としての登録を受ける際の作業の一部(建物の実測と図面化など)を、そのNPO法人会員のひとりとしてちょっとお手伝いさせて頂いたためです。

講演の概要は

  1. 講演会「市民が守り・育む文化財ー安中教会の新島襄記念会堂・温古亭・義圓亭・宣教師館の文化財としての価値とこれから市民が取り組むべきこと」(工学院大学 後藤治先生)
  2. 鼎談「教会として思うこと・市民としてできること・NPO活動として支援出来ること」(安中教会 五味一牧師  前橋工科大 星 和彦先生 前出 後藤治先生)

という感じで、1は、日本の建築物に関する文化財制度の概要(国宝、重要文化財、登録文化財、史跡、名勝、民俗文化財など)と安中教会の建物群の特徴の説明などで、海外における同様の制度の比較なども大変面白く拝聴しました(登録文化財という制度自体をつくる立場にあったという後藤先生曰く、「日本の文化財の分類方法は、『制度をつくる側、つまり上からものを考えている』のに対して、米英などでは『建物の所有者や使用者の側から制度が考えられている』」のだそうな)。後半の2については、最後には参加者からの質疑応答も活発に行なわれました。

文化財の種類(文化庁HP)

安中教会の建物についての話ですので、キリスト教のことや、海外での宗教建築の特徴など話は多岐に渡り、全部ついて行けたとはとても言えないのですが(笑)。でもそうしたこともきちんとふまえないと、文化財としての安中教会の理解が深まらないのでしょうね。

いろいろにためになるお話が多かったのですが、そうした中で、上のような「市民と文化財との関わり」との本来の講演会の主旨からずれますが、大変勉強になったなぁと思ったことを少々・・・。

まず、信徒さんが何人も講演を聞いていたのですが、「安中教会が培ってきた歴史を大切に継承したい」したいとの信徒さんらの強い気持ちをすごく感じたことです。歴史を継承するなんて書くと新鮮さも薄らいでしまう感があまりますけど、「新島襄がどんな思いでアメリカへ行き、帰ってきて安中で布教活動をしてきたか、そしてその教えを受けて信徒さんや時の牧師さんらがどのようなことを考え、行動してきたのかということを、自分たちの次の世代の人にもきちんと伝えて行きたいと頑張っていらっしゃる」ということで、みなさんこの教会にもちろん深い愛情を持っていらっしゃるということです。

次には、こうした発言などをふまえて、「建物としての文化財(教会堂)を大切にするということは、その教会自体を大事にしていこうという気持ちを育むことではないか」と信徒さんらからお話が出たことです。文化財である建物というのは、時に、その建築的な価値のみに視点が集中し、そこでの生活などがあまり語られないことがままあるようにも思います。特に私なんかの場合は、仕事柄、なおさらなのかも知れませんけど(笑) 保存され、観光施設のひとつとして一般公開されている建物などとは異なり、今でも実際に信徒さんらにより大事に使用されている文化財だからこそのお話であると感じました。

もうひとつ同様に、現在も使用している文化財であるからこそのお話として、信徒さんから「建物が古いため、暑かったり寒かったりと室内環境が今の建物に比べて良くないので、どうやって改善していけば良いか」との質問が出て、それに各先生らが事例を挙げて、具体的な方法をお答えしていましたが、他の信徒さんの中から「昔は、もっと貧しくて苦しい時でも、みんなそうした暑さや寒さに耐えて礼拝をしていた。その頃より豊かな私たちにそれができないというはどうか」といった主旨のご意見があったことです。文化財は、できるだけもとのままで残して継承していくのが理想だろうと思いますが、時には修理や、それぞれの時代の変化に合わせて変えて行く部分もあります。そうしたことはあっても、基本的には、「できるだけ以前の形を維持していくのが良いのだろうな」との考えを改めて認識させられました。補足として後藤先生から、「日本の人は、後から建物を直す場合に、もとのものにきちんと合わせずに簡単に考えて直してしまうケースが多い」なんてご指摘もありました。

そして何と言っても、安中教会の牧師である五味先生が、信徒さんと同様に「今までの安中教会に関わる歴史的なこと、昔のことでわからなくなってしまったことなどは、ご自身が牧師をしている間にできるだけ調べたり整理したりして記録し、次の世代にきちんと伝えられるようにする」ということと、「教会と地域とのつながり」を深く考えておられることを感じたことです。

歴史というのはやはり、きっと記録しておくことが大切で、そうしたものが残っていれば、後の人が「昔の人はこういう時にどう考えてどう行動したのか」が大変参考になるからですよね。これはもちろん教会などに関わらず、家や、会社などの組織でも同じだなぁと思ったりします。また地域とのつながりとしては、この教会堂が、昔の建物であり「純然たる礼拝機能のみで、トイレやロビーのようなものさえ無いだけでなく、最近の教会堂に見られるような、信徒さん同士のコミュニケーションための部屋も無い」とのことを指摘しておられましたし、また、最近の海外での教会では、過疎化などにより教会が維持できなってしまうこともあるが、そうした場合には、地域でのコミュニティ活動の場などとして提供することで維持させている事例もあるのだそうです。また礼拝堂は、昔は牧師が説教をする壇が一段高くなっていたり、2階から説教をする形になっているものもあるのだそうですが、近年は、礼拝堂の中の牧師の説教台がある部分と、信徒さんらが座る部分とに、段差などがなく、牧師と信徒との垣根のようなものをもともと設けない考え方を持つ教会も増えているのだそうです。なるほど~、教会のあり方も、時とともに変わっていくのだな~、と感じました。

こうした、『「歴史」という時間軸での継承と「地域など」の空間軸でのつながりというふたつの軸での理解』は、やっぱりとても大切なんだろうなぁと、最近よく感じます。以前にも書きましたが、設計という仕事が教科書を覚えればできるようになるような仕事ではないし、「実際に経験してみないとわからない」ことが多いため、経験したことのある人からのお話は大変貴重ですし、自分ひとりだけで考えていても解決できないことが多いので、他のいろんな方々から意見をもらったり・・・。私ももっと若い頃は、何でもひとりで物事は解決できるし、昔のことは古いことで今のことには役に立たないと思って、昔のことや他の人に対して、気持ちや行動が「開いていかない」時期もあったように思います。要は「世間知らず」ということなのでしょう(笑) でも実際にこうしたいろんな場へ出向いて、いろんな方々のお話をうかがっていると、本当に自分自身が少しでも良くなっていくような気がしています。自分が勝手にそう思っているだけかも知れないですけど(笑)

仕事に忙殺されていると、なかなかこうしたことを考える機会を持つ余裕もありませんが、今後もできるだけ時間を割いて、きちんといろんな方々のお話をうかがったり、「外へ開いて」行きたいなと改めた一日でした。

その他にも、建築的なことはもちろんのこと、「説教台の横に花台が置かれるのは、キリスト教の中でも日本独特」、「安中教会の礼拝堂には十字架がかけられていないが、プロテスタントの教会は、それが普通」など、五味先生からの、キリスト教に関するちょっとしたお話以外にも、「教会とNPOの共通点」みたいなことなど、書きたいことは山ほどあるのですが、また長くなるのでこの辺で。今日書いた内容については、特にキリスト教関係など、私に予備知識がない中で書いている部分も多いので、聞き違いなどもありそうだな・・・、と思ったりしています。

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